犬の疑似論
犬の心理分析に於いて、擬人論のもたらす幸と不幸を最初に論じても驚かないでください。
ギリシャ神話のように神の性格を人間になぞらえて論じることである。ここでは、犬の行動、あるいは性質を人間と同じものとして議論する意味で書かれている)
極端な言い方をすると、犬は社会生活を営む動物であり(訳注以降社会的と呼ぶ)、その社会は本能に基づいた一連の行動形態によって取り仕切られていますが、人間の行動は道徳的な法則によって支配されている、ということができるでしょう。
一方、わずか1年で、犬は人間の20年に匹敵する成長を遂げます。ということは、肉体、あるいは精神の発達は人間の20倍早く、その結果「擬人論」に従えば、ちょつとしたしつけの過ちも20倍の影響があるということなのです。
人間の子供は、しぐさ、合図、動作、態度、そして言葉によって会話をします。犬は言葉ではない意思の伝達方法を持っています。人間は言語の習得によって動物的なこの種のしぐさの大部分を失いましたが、犬という友人が言葉や状況(罰も含め)を、人間の子供と同じように理解してくれるものだ、と期待してしまいます。しかし、犬は身振りで話し、自分のしてほしいこと、嫌悪の情、支配、あるいは服従の感情などを表現するのです。
もし犬をひとりでおいて出かければ、犬はあなたを非難するため(支配性の発露)絨毯に小便をするかもしれませんし、帰ってきたあなたが怒ると尻尾を後ろ足に挟んで震えながら失禁する(従属性の発露)こともありうるでしょう。このように、「小便をする」という一見すると同じ行為が、その意味を持つことがあるのです。
(訳注犬の社会は完全な階級社会であり、ある群れにおいてリーダー以下、序列が定まっている。犬の性格として、リーダーになろうとする強い欲望のある犬を欧米では(支配的)と呼び、逆に下の序列で満足する性格の犬この概念が欧米の犬のしつけにおいて最も重視されることに注意したい。
犬に於ける排泄行為はもっとも高度な社会的表現でしょう。これは人間社会に於ける名刺よりはるかに優れたもので、性別、年齢、生殖能力、支配性の度合い、通過した時間、自分に対する自信の程度などをほかの犬たちに教えてくれるのです。
「動物と人間の子供に対する教育は、非常に多くの点で似通っている。ただ、子供に対する教育のほうがより人間的であるだけだ」(ドドゥスン)。まさしく、子供と犬の教育には共通点があるのです。
犬が鋭敏な神経系統を持っていることを考えると、擬人論もすぐれた研究技術ということができます。犬が幼少の時期(胎児の時代も含む)に不適当な取り扱いを受けると、性格や行動に悪影響が出てくるのは人間の場合とまったく同じです。子犬を孤独にしておき、必要な社会性を身につけさせないと、不幸なことに多くの場合、激しい異常行動を見せるようになります。
次の重要な要素は、しつけに於いて一貫性を保つことと、罰より褒美を優先することでしょう。一貫性が欠けると、犬は神経症になるなど飼い主の期待とまったく逆の結果が生じることになります。週末には散歩につれていき、平日それをしなければ、飼い主の留守中、犬はひどく吠えたり、物を壊したりします(恨み、もしくは退屈のため)。
もっとも、擬人論にも多少は手心を加えなければいけません。犬の心理について、最近なされた科学的研究の結果、犬はいくつかの固有の行動形態を持つことが明らかにされています。
よく犯される過ちですが、人間の身振りと動物のそれを結びつける場合があります。ラクダが頭を高く上げると何か尊大な様子に見えますが、別にこの動物の性格がそうであるというわけではありません。犬が横を向いて頭を下げ、主人と視線を合わせないと、自分のしでかした悪事について後悔しているように見えます。もし飼い主が次の瞬間、花壇がめちゃくちゃにされたり、本が破られているのを見ると、「うちの犬は悪いことをして、しかもそれが悪いと知っているのだ」と考えます。ところがそうではないのです。犬という動物は、10秒以内に罰せられないと自分のとった行動を忘れて、新しいことに熱中してしまいます。先ほど述べた犬の行為は、犬の予想に基づいた服従の態度表明なのです。犬はあなたが帰ったので罰を受けるだろう、と思っているのです。つまり、犬は罰を自分の行為とではなく、あなたの帰宅という事実に結びつけているのです。ご同意いただけませんか。
では、次のような実験をすればそれが正しいことが証明されます。たとえば、もし犬が留守中に雑誌を破く癖があるなら、犬の見ていないところであなたが本を破り散らかしてから、その場所に犬をおいて一言もいわず外出してください。そして、15分もたったら帰って犬の態度を観察しなさい。ほとんどの場合、犬は罰を予期して服従の態度をとるものです。今まであなたは、犬は悪事を働いたことを知っていると思っていましたね。ところが、そうではないのです。犬が服従の態度を見せるのは過去の自分の行為が原因なのではなく、現在の状況から何が起きるか予測しているからなのです。つまり、あなたが与えている体罰はあなたの意図にまったく反した結果を招き、過去に於ける間違った罰の与え方が犬にこのような態度をとらせるようになったのです。この犬は自分の弱みを見せることにより、あなたの態度を和らげ、なんとかこの罰(意味のない罰であるが)から逃れたいと思っているのです。
人間とは異なった、犬固有の行動形態もいくつかあります。たとえば、縄張りを示す排尿行為、服従の排尿、疑似妊娠などがあげられるでしょう。疑似妊娠は、発情の2〜3か月後に起きる生理現象で、乳房が張り、乳が作られます。このような異常現象(乳房の結節、排乳、膿瘍の危険)を治すには薬品を犬に与えるとともに、犬を極端に甘やかす飼い主には自分の態度を改めてもらわなければいけません。
良心や義務の観念は人間の子供に於いてと同様、子犬にはありません。人間の場合、基本的に子供の道徳観念の形成の責任は親にあり、その教育は模倣によりなされます。犬もまた、模倣により行動することがあります。たとえば、あなたが花壇の手入れをしているのを見て花を掘り起こしたり、壁紙を貼っている主人を助けようと壁を引っかいたりします。また、直観により行動することもあるでしょう。たとえば、主人が嫌っている人を儀礼上の理由で家に招待しなければならないような場合、その来客に犬が攻撃性を見せることがあります。ただ、このような行為は、犬自身が楽しむか、得になると考える時だけなされるということに注意してください。そして、この理由から、褒美が罰と比較して最大の利点をもたらすのです。
結局のところ、犬の生まれながらの性質を、社会的道徳とうまく調和するよう仕向ければ、しつけはうまくいくのです。